こんにちは、Dr.なんくるないさーです。
先週末に勝馬海岸で磯遊びをしてきました。
その帰りに金印公園に寄ってみました。
遊具とかがある公園ではないので、正直子供達は興味なさそうでしたが、歴史が好きな僕は以前から行ってみたかった場所の一つです。
というわけで、今回は志賀島の勝馬海岸で遊んだ帰りに、金印公園に寄ってきたよって記事です。
志賀島にある金印公園へのアクセス
志賀島に入ってすぐのところにあります。
今回は勝馬海岸経由なので、志賀島を反時計回りに移動しましたが、金印公園に行くだけなら左回りで行った方が早いです。
金印公園の下には駐車場もあるので、車で行っても問題ないです。
そもそも金印とは?
金印って何?って人のために、金印について少し解説します。
漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)は、日本で出土した純金製の王印(金印)である。
読みは印文「漢委奴國王」の解釈に依るため、他の説もある。
1931年(昭和6年)12月14日に国宝保存法に基づく(旧)国宝、1954年(昭和29年)3月20日に文化財保護法に基づく国宝に指定されている。1931年(昭和6年)に、同金印は当時の国宝保存法に基づく国宝(文化財保護法の「重要文化財」に相当)に指定され、世に知られるようになった。
金印の出土地および発見の状態は詳細不明。
福岡藩主黒田家に伝えられたものとして明治維新後に黒田家が東京へ移った際に東京国立博物館に寄託された。1973年(昭和48年)に黒田家・東京国立博物館・文化庁の許可を得て、福岡市立歴史資料館が複製品を作成。
材質純金24カラット。
福岡市立歴史資料館・九州歴史資料館・文化庁・東京国立博物館も一顆を作成。
翌年の1974年(昭和49年)より福岡市立歴史資料館にて展示。その後福岡市美術館の開設に際して1978年(昭和53年)に黒田茂子(黒田長礼元侯爵夫人)から福岡市に寄贈され(黒田資料の一つ)、1979年(昭和54年)から福岡市美術館、1990年(平成2年)から福岡市博物館で保管・展示されている。
※Wikipediaより抜粋
Wikipediaからそのまま引っ張ってきました。
歴史の教科書とかでは、後漢の光武帝が奴国の王に与えたとされていて、実際の中国の歴史書にもそのように記されているそうです。
要は中国の王様が「君を日本の国王と認めるよ」というメッセージを込めて、当時の日本の王様に金印を贈ったみたいな感じです。
ちなみに金印が発見されたのは江戸時代のことで、農作業中に農民が偶然発見して、筑前藩主であった黒田家に代々伝わり、1978年に福岡市に寄贈されたとされています。
意外と歴史のある、由緒正しい印鑑。
それが金印です。
以上、金印の説明終わり。
金印公園はこんなとこ
駐車場横にある石碑。
奥にある階段を登って、金印公園に入っていきます。
金印公園の全体図。
これを見た感じ、何もないですね。
交流広場
交流広場にある石碑。
何を書いてるかは知りません。
石碑2号。
こちらも何を書いてるかはわかりませんでした。
戦後頻傳友誼歌 北京聲浪倒銀河
海山雲霧崇朝集 市井霓虹入夜多
懐舊幸堅交似石 逢人但見咲生窩
此来收穫將何似 永不重操室内戈一九五五年冬訪問日本歸途在福岡作
轉瞬已十八年矣一九七四年冬 郭沫若
↑書かれてる詩らしいです。
これを訳すと、
戦後頻りに伝う友誼の歌
北京の声浪は銀河を倒(さかしま)にす
海山の雲霧は崇朝に集まり
市井の霓虹(ネオン)は夜に入りて多し
旧(いにしえ)を懐(おも)えば堅からんことを幸(ねが)う交り石の似(ごと)く
人に逢えば但(ただ)見る咲(わら)いて窩(えくぼ)を生ずるを
此来(このたび)収穫は将に何似(いかん)
永(とこ)しえに重ねて室内(きょうだい)の戈を操(と)らじ一九五五年の冬 日本を訪問し歸途
福岡に在りて作る 轉瞬(またた)くまに已に
十八年年なり
一九七四年冬 郭沫若
こうなるらしい。
世界的に著名な書家である郭沫若が1955年に福岡を訪れた際に、日中の友誼をたたえ、懐かしい福岡に再来した喜びと永遠の平和を願う内容を綴った詩らしいです。
よく分かりませんが、「遥か昔から日本と中国が仲良く出来てて良かったー、この平和がずっと続きますように。」みたいな感じの詩なんだと思います。
展望広場
交流広場をあとにして、さらに上にある展望広場へ。
地味に階段がきつい。
高台にあるだけあって、眺めが素晴らしい。
天気は残念でしたが、晴れてたらかなり良い感じになりそう。
広場の中央にある金印。
ディスプレイの仕方がオシャレで神々しい。
ちなみに本物の金印は福岡市博物館にあるらしいです。
こんな感じで鎮座されています。
金印(レプリカ)の横にはこんな石碑。
金印で捺印したら、こんな感じになるよ!ってやつ。
なんかオシャレだなーって思いました。
こんな感じで金印についての情報がパネル化されているので、これを読むだけで金印についての知見を得ることができます。
一人で黙々と読んでいましたが、面白かったです。
ちなみにこの金印のレプリカですが、金印越しに風景を撮ると映えるみたいで、この日も女の子の集団がキャッキャ言いながら撮影してました。
僕のセンスではこんな感じが限界で全く映えてません。
眺めは本当に良くて、糸島から能古島までパノラマで見ることができます。
晴れの日とかはロケーション最高だと思うので、撮影技術あるよって方にはオススメです。
夜の金印公園は心霊スポット?
そういえば、この記事を書くにあたって、金印公園について色々調べてたんですが、「志賀島 金印公園 心霊」みたいなキーワードが出てきました。
- 駐車場横にあるトイレに昔赤ん坊が捨てられていて、子供の霊が出るとか。
- 元寇の時に処刑されたモンゴル人の霊が出るとか。
結構な数、心霊スポットとしての記事も出てくるので、心霊スポットとしても有名みたいです。
夜はドライブコースとして有名みたいなので、そういう噂も出てくるんでしょうね。
僕は昼間に行ったので、特に気にはなりませんでしたが、夜に金印公園に行くってなったら、確かに怖い気がします。
周りに何もないし、多分真っ暗だと思う。
歴史好きなら志賀島の金印公園、一度は行っとけ
勝馬海岸の帰り道に寄った程度で、金印公園の滞在時間は10分くらいでしたが、歴史好きな僕は楽しかったです。
ちなみに子供は本当に面白くなさそうでした。
遊ぶための公園でもないですし、どちらかというと記念公園的なものなので、志賀島で遊んだ帰りに寄るくらいがちょうど良いかなと思います。
実際、僕も一回行って満足したので、2回目行こうとはなってないのが正直なところ。
歴史が好きなら一回足を運んでみても損はないと思うので、興味がある方は是非。
金印についての知見を得ることもできるので楽しいですよ。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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